青島市 (Qingdao Shi)
青島市(チンタオし、せいとう し、、拼音: Qīngdǎo Shì)は、中華人民共和国山東省に位置する中国有数の港湾都市・商工業都市・国際都市である. 副省級市・計画単列市、国家歴史文化名城に指定されている. 1984年以降の改革開放政策の一環として、1978年に始まった経済特区に次いで、1984年に指定された対外経済開放区である. 中国の海洋産業の中心都市であり、東部沿岸の重要な経済と文化の中心であり、近代的な製造業やハイテク産業基地も立地する. また国際的な沿岸リゾート地、東アジアの国際海運センター、中国国内の主要な地方国際空港所在地であり、中国人民解放軍海軍北海艦隊司令部のある軍港でもある. 日本の山口県下関市と京都市と友好姉妹都市である.
2008年の北京オリンピックや2009年の第11回中華人民共和国全国運動会のサブ会場は青島に位置しており、また、2014年に国際園芸博覧会が、2018年に上海協力機構大会が青島で開催された.
清朝になると現在の大学路付近に青島村という寒村があり、清末期には青島口という小さな港町を形成するに至った. 1859年には青島口に税関分局が設けられ、1865年には煙台の東海関の分関が置かれた. 1891年に国防上の観点からこの地に海軍の桟橋など軍事施設が建設され、翌年に登州の兵力が膠澳に駐留し、総兵衙門が青島村に置かれ、町の発展が始まった.
日清戦争後、三国干渉で中国に恩を売ったドイツは、大洋艦隊の寄港地となる軍港を中国沿岸に確保しようとした. 膠州湾一帯に目をつけ、1897年に宣教師が山東で殺された事件を口実に上陸し、翌1898年には膠州湾を99年間の租借地とした. 膠澳にはドイツ東洋艦隊の母港となる軍港が建設された. ドイツはこの地を極東における本拠地とし、鉄道敷設権と鉱山採掘権などを通じ山東半島一帯を勢力下に置いた. 青島はドイツのモデル植民地として街並みや街路樹、上下水道などが整えられ、今なお残る西洋風の町並みや青島ビールなどドイツがこの町に与えた影響は大きい.
第一次世界大戦でドイツ帝国に宣戦布告した日本は1914年膠州湾のドイツ要塞を陥落させて占領下に置き、ヴェルサイユ条約の条項により山東省(青島・膠州湾租借地)における特権の譲渡を受ける予定であったが、抗日活動が活発化したことから、1922年の条約により山東鉄道等を含む権益を部分的に北洋政府に返還した. 1925年には上海での五・三〇事件が青島にも伝播して起きた日系紡績工場での大規模なストライキに対する日本軍と北洋政府による弾圧事件が発生した. 北洋政府は青島を中央政府直轄の特別行政区である膠澳商埠としていたが上海クーデターにより勢力を失い、その後の国民党政府は1929年青島特別市を成立させ、1930年に青島市と改称した. 1937年日中戦争が始まると、青島は再び日本軍の占領下に置かれた. 第二次世界大戦後には青島は米国西太平洋艦隊の司令部所在地となったこともある. しかし1949年6月2日中国人民解放軍が青島に入城し、中国共産党政権の支配下に置かれた. 1984年の鄧小平時代に対外開放され、近代的な港湾都市として発展している.
2008年の北京オリンピックや2009年の第11回中華人民共和国全国運動会のサブ会場は青島に位置しており、また、2014年に国際園芸博覧会が、2018年に上海協力機構大会が青島で開催された.
清朝になると現在の大学路付近に青島村という寒村があり、清末期には青島口という小さな港町を形成するに至った. 1859年には青島口に税関分局が設けられ、1865年には煙台の東海関の分関が置かれた. 1891年に国防上の観点からこの地に海軍の桟橋など軍事施設が建設され、翌年に登州の兵力が膠澳に駐留し、総兵衙門が青島村に置かれ、町の発展が始まった.
日清戦争後、三国干渉で中国に恩を売ったドイツは、大洋艦隊の寄港地となる軍港を中国沿岸に確保しようとした. 膠州湾一帯に目をつけ、1897年に宣教師が山東で殺された事件を口実に上陸し、翌1898年には膠州湾を99年間の租借地とした. 膠澳にはドイツ東洋艦隊の母港となる軍港が建設された. ドイツはこの地を極東における本拠地とし、鉄道敷設権と鉱山採掘権などを通じ山東半島一帯を勢力下に置いた. 青島はドイツのモデル植民地として街並みや街路樹、上下水道などが整えられ、今なお残る西洋風の町並みや青島ビールなどドイツがこの町に与えた影響は大きい.
第一次世界大戦でドイツ帝国に宣戦布告した日本は1914年膠州湾のドイツ要塞を陥落させて占領下に置き、ヴェルサイユ条約の条項により山東省(青島・膠州湾租借地)における特権の譲渡を受ける予定であったが、抗日活動が活発化したことから、1922年の条約により山東鉄道等を含む権益を部分的に北洋政府に返還した. 1925年には上海での五・三〇事件が青島にも伝播して起きた日系紡績工場での大規模なストライキに対する日本軍と北洋政府による弾圧事件が発生した. 北洋政府は青島を中央政府直轄の特別行政区である膠澳商埠としていたが上海クーデターにより勢力を失い、その後の国民党政府は1929年青島特別市を成立させ、1930年に青島市と改称した. 1937年日中戦争が始まると、青島は再び日本軍の占領下に置かれた. 第二次世界大戦後には青島は米国西太平洋艦隊の司令部所在地となったこともある. しかし1949年6月2日中国人民解放軍が青島に入城し、中国共産党政権の支配下に置かれた. 1984年の鄧小平時代に対外開放され、近代的な港湾都市として発展している.